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横綱・稀勢の里が誕生したのは琴奨菊のお陰だということを書きます。

なぜ、長期間、日本人力士の横綱が誕生しなかったのか。

なぜ、今年になって日本人力士の横綱が誕生したのか。

その鍵は、すべて琴奨菊にあったのです。
ところで、日本人力士の横綱昇進としては若乃花の横綱昇進から数えて19年振りと言われていますが、それは違います。

久しぶりの日本人横綱誕生のことを書くに当たり、まずこれだけは書いて始めますね。

それは、武蔵丸が2003年に横綱昇進したとき、武蔵丸はすでに帰化していたということです。

つまり、日本人力士の横綱昇進は正確にいうと、14年振りなのです。

帰化した武蔵丸を抜かすって変ですよね。

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さて、それでは、琴奨菊の貢献について、はじまり、はじまり♪

横綱・稀勢の里誕生の最大の功労者は琴奨菊だ!


世間では、ほとんど言われていないことですが、

  • 横綱・稀勢の里誕生の最大の功労者は琴奨菊

サイト管理人・クロスケは、そう確信しています。

それは、琴奨菊が日本人力士の中にある「思い込み」を解いてくれたからです。

日本人力士が横綱になるには、日本人力士が優勝しなくてはなりません。

しかし、日本人の幕内優勝は、もうずっとなかった…。

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実は、こういう話があります。


不可能を可能にしたロジャー・バニスター物語


陸上競技に「1マイル走」という種目があります。。

かつて、「1マイル走」には「1マイル4分の壁」というのがありました。

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1923年、フィンランド選手が「1マイル4分10秒3」の大記録を打ち立てました。

たった2秒の記録更新でしたが、なぜ大記録でした。

それはなぜかというと、この2秒更新には、なんと37年間もの年月がかかったからです。

2秒の更新に37年!!

そんなこともあり、人々の中にはこういう思い込みが浸透されたのです。

  • 「1マイル4分」は、人類が決して超えられない壁だ

と。

しかし、2秒更新の大記録から30年以上経った頃、オックスフォード大の医学生は考えました。

彼の名前はロジャー・バニスター。

彼はこう考えたのです。



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  • 科学的に分析して取り組めば「1マイル4分の壁」は超えられる

そして、科学的に分析してトレーニングを積み、とうとうやってしまったのです。

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1954年5月6日、その壁は打ち壊されました。

ロジャー・バニスターは3分59秒4という大記録を打ち立てたのです。

  • 人類が決して超えられない壁

が壊れた瞬間です。

実は、この話が面白いのはここからなんです。

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ロジャー・バニスターの大記録のあと、たったの46日後にバニスターの記録を破られたのです。

結局、バニスターの「壁を越えた大記録」のあと1年間に、なんと23人もの選手が「1マイル4分の壁」を超えたのです。


2016年初場所の琴奨菊の初優勝は「壁」を壊した


2006年1月、大関・栃東が優勝を果たして以降、2015年11月場所まで58場所、日本人力士の優勝はありませんでした。

10年間、外国人力士に優勝を独占されていたのです。

そして、大相撲界のトップには、朝青龍引退のあとも、 3人のモンゴル人力士が占めている。

彼ら3横綱が日本人力士の優勝を阻んできました。

もう誰しもが、日本人力士は優勝できない。

そんな思いが、知らず知らずのうちに浸透していったのかもしれません。

実は、先ほどの「1マイル4分の壁」は極めて心因性の制限です。

つまり、大相撲界においても、いつのまにか

  • 日本人力士は優勝できない

という刷り込みが出来てしまったのです。

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その心因による壁を見事に壊したのが琴奨菊の初優勝だったのです。

琴奨菊の初優勝が、稀勢の里の活躍を導き、度重なる稀勢の里の優勝争い&横綱挑戦の勢いを産みました。

琴奨菊の初優勝が、2016年9月場所の豪栄道の全勝での初優勝を産みました。

琴奨菊の初優勝が、2017年初場所の稀勢の里の初優勝を産んだのです。

琴奨菊の初優勝が、力士、とくに日本人力士のなかにある強固な思い込みを壊したのです。


まとめ 琴奨菊の貢献について


琴奨菊は、初優勝の1年後、カド番に負け越しを喫し、来場所は関脇降格になってしまいました。

これだけの貢献者・琴奨菊。

来場所、2桁の勝ち星を挙げて、5月場所には大関復帰を実現して欲しいですね。

大相撲ファンとして、心からそれを望んでいます!

※アイキャッチ画像の出典:matome.naver.jp/odai/2145362436198566701


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