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横綱昇進が決定した稀勢の里。

しかし、稀勢の里のあまりに大器晩成が故に、稀勢の里の四股名(しこな)を「稀にしか勢いを出せない」と曲解する向きがある。

ざけんなよ!!!というのが今回の記事である(笑)。

実は「稀にしか勢いを出せない」どころか、とっても由緒正しい四股名だったのだ♪

先代・鳴門親方の横綱昇進時に…


稀勢の里の先代親方は、鳴門親方だ。

稀勢の里の大関昇進直前、2011年に急逝された親方、第59代横綱・隆の里だ。

稀勢の里は期せずして、隆の里と同じ30歳での横綱昇進となった。

隆の里、1983年の横綱昇進時に、福井・永平寺の元貫首から「作稀勢(さきせ)」なる言葉を贈られた。

この言葉の意味するところは、「稀(まれ)なる勢いを作れ」ということ。

少し説明を加えると、「たぐいまれな、他に類のないほどの力を発揮する人物たれ」ということだ。

そして、鳴門親方は、最も期待する弟子にこの「作稀勢」の言葉を四股名につけようと決めていたのだ。


萩原改め…


中学卒業で角界を目指し、鳴門部屋に入門した萩原少年(稀勢の里の本名は萩原寛〜はぎわらゆたか)。

萩原少年は、ずっと「萩原」の名で相撲を取っていた。

そして、2004年11月場所で幕入りすることになり、その際に四股名を改名。

ことときだとばかりに、先代・鳴門親方(横綱・隆の里)は、萩原に「稀勢の里」の四股名を与えた。

それは萩原少年が鳴門親方にとって、もっとも期待できる弟子であったからだ。

「類い稀な力強い関取になれ!」という期待とともに、もしかしたら、将来は横綱にという思いもあったのかもしれない…。

稀勢の里、18歳3ヶ月である。

当時、史上2番目の若さでの新入幕であった。



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スピード出世の稀勢の里にブレーキ!?


  • 2004年5月、17歳9ヶ月、史上2番目の若さで新十両に
  • 2004年11月、18歳3ヶ月、史上2番目の若さで新入幕に
  • 2006年7月、19歳11ヶ月、史上4番目の若さで新小結に

ここまではスピード出世だったが、そのあとブレーキが。

関脇昇進はまあまあフツー。

そして、大関では31場所務めた。

数多くの優勝のチャンスを逃し、数多くの横綱昇進のチャンスも逃し続けてきた。

気がつけば、4大関のなかで優勝経験がないのは稀勢の里だけになってしまっていた。

そんなこんなで、大器晩成すぎる大関の四股名が

  • 稀にしか勢い(力)の出せない関取

というように曲解されてしまったのだろう…


稀勢の里、本来の四股名通りの大活躍!!


2017年初場所の稀勢の里の初優勝は堂々としたものだった。

2横綱1大関の途中休場はあったものの、自分の実力でたぐり寄せた結果だ。

また、初優勝を受けての横綱昇進も、周囲が納得するものであった。

横綱昇進決定を受けての記者会見の内容は先の記事で書いた。

その記者会見内容などを聞くにつけ、稀勢の里の今後の活躍も十分に期待できる。

現役のモンゴル出身3横綱の力に陰りが出てきた今、大相撲界をひっぱるのは稀勢の里だろう。


まとめ 稀勢の里の四股名


あまりに大器晩成だったかもしれないが、稀勢の里は四股名通りの横綱になる。

そして、その名に負けないように、横綱になっても、多くの優勝を重ねて欲しい。

「もっともっと」と飽くことなく努力を重ねることができる稀勢の里だから、それはできるだろう。

3月場所が楽しみでならない♪

※アイキャッチ画像の出典:blog.goo.ne.jp/motorikisi


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